デジタルカメラといふ短命家電製品

 既に我が家にはデジタルカメラといふものは全て消し去った。はずなのでありますが、ずいぶん前に使はなくなったOLYMPUS E-300を實家に置いてきた事をすっかり忘れてゐました。案の定、實家でも誰からも使はれず埃を被っていたので、余りにも不憫に思ひ、前回歸省時に連れて歸って來ました。

 このE-300は2005年發賣の知る人ぞ知る(もうそんな昔の話なのか・・・)OLYMPUSの、といふかフォーサーズシステムの未來と可能性を一寸覗かせてくれた、とっても素敵なものでした。800萬畫素なので、まぁ現在でもBlog用途のメモ撮りには充分すぎるものではあります。

 これに付いてるレンズはZUIKO DIGITALの14-45mm F3.5-5.6といふ、これまた何の面白味もないキットレンズで、レンズ上面のペラペラ銀色シール(笑)の安っぽさが哀愁を漂はせます。描寫も・・・なやつでした。

 このため、すぐに14-54mm F2.8-3.5に買ひ換えたり、50-200mm F2.8-3.5や50mm F2 MACROを買ひ足したり、と、フォーサーズで心中する勢ひで揃えていたのも良き思ひ出ではあります。更にこの後E-1を買って、その直後に實家にお蔵入りした記憶が。

 

 がしかし、この頃から「デジカメって詰まらんなぁ」と漠然と思ひ始めて、段々撮らなくなってしまいました。

 何がそう思はせたのか分からないのですが、その後雪崩のやうに一氣にフィルムカメラ側に移行してしまいました。管理していた畫像が1テラバイトを超へさうになって、管理限界を超えた、といふのもあります。單なるパソコンの外部機器として、趣味さへも仕事の延長に感じる違和感を覺へた、といふのもあるでせう。パソコンの畫像といふ保存性の惡さや物質として殘らない空虛さもあります。Photoshopでイジり放題のインチキ臭さもあります。レンズを通した光を直接記録した譯ではない、寫眞を詐稱する塗り繪製造器としての疑問もあります。原版といふ槪念の欠落した所も氣に食わない。

 その中でも私の中で大きな問題のひとつとして、デジカメ自體が物として愛着が持てない、といふ事が大きいのではと熟々思ふやうになりました。このE-300についても然り。全く愛着が湧きません。

 他に私が購入した物で愛着が湧かないものは・・・と考へて共通する事柄は「Windows 95發賣以降に購入したパソコンとその周辺機器」といふ共通項で括れる事に氣付きました。それ以前のパソコン(PC-9821シリーズなど32bit機やPC-8801シリーズやMSX2+など8bit機)は愛着涌きまくりで現在でも稼働狀態に保存されております。が、それ以降のマシンは何を持っていたのか記憶が定かでないくらい愛着が湧きません。周辺機器としてはプリンターやスキャナーやタブレットやモデムやMIDIや・・・一體何を持っていたのか覺へてすらおりません。

 デジカメも單なるパソコンの周辺機器、と醒めた見方をすればこの周辺機器の一種類であり、まぁ致し方あるまい、とも思ひます。

 ところでこのE-300、何と充電器が行方不明。なので試しに動くか撮ってみよう、と思っても動かないのであります。何といふ産業廢棄物。高い金を拂って買った夢のカメラ(ちょっと大袈裟)なのに、死角ありすぎ・・・

 このまま売却 or 捨てるのもあまりに不憫なので、充電器を安價でオークションにて落札致しました。現在Blog用メモ畫像にiPhoneを使ってますが、他に使い道も無いので、充電器が到着した暁にはこいつを使う事にします。ちょっとは愛着が持てるやうになるのかな? いづれにせよ充電池が壽命になり、對應充電池がディスコンになってしまえばこいつも産業廃棄物確定ではあります。買ったからにはせめて、それくらいまで使ひ潰してやる責務があるのでは。なんてこいつを眺めてて思ひ始めました。

 OLYMPUSもこのE-300を出した後、E-500、E-330、E-410、E-510、E-420、E-520、E-3、E-30、E-620、そしてマイクロフォーサーズのE-P1とまぁ、どこの冷蔵庫だこりゃ? と言はんばかりのモデルチェンジの激しさ。しかもフォーサーズ規格も消滅するんじゃないか(まぁ、現時點ではどっちか分かりませんが)なんて囁かれる始末。少なくとも、私の趣味とする寫眞の領域とはかけ離れた遠い世界の話に感じます。

 このデジカメを製造するにも、大量のレアメタルと環境負荷をかけている筈です。大量消費型經濟は私の美學に反しますし、日本の文化にも馴染まないのではと感じる今日この頃です。もうデジカメをポンポン買い換へるの、止めませんか皆さん?